キッチンは「隔絶された作業場」から「パブリックな場」へ
共働きの夫婦が増え、男性が家事をすることがまったく珍しくなくなった今の時代。とは言え、キッチンのデザインを考えるとき、その決定権はやはり女性が握っているケースが多いと感じます。設計・デザインの打ち合わせにご夫婦で臨まれるケースでは、奥さまが最も時間をかけるのはキッチンであることがほとんど。自分らしさを表現する場として、キッチンを重視する方が多いことがうかがえます。
ここ数年はキッチンひとつとっても、実に多様な選択肢が出てきています。施主の方のライフスタイルや趣味嗜好に合わせて、さまざまなこだわり方ができるようになってきました。その背景には、住宅における「キッチン」という場所のステータスが上がってきたことがあると思います。
かつてのキッチンは炊事場、つまり食事をつくったりお湯を沸かしたりといったことを行う「作業場」でした。それが最近では、リビングやダイニングといった家族の憩いの場とひと続きになった「パブリックな場」へと変わってきたのです。これによって、キッチンのデザインがより洗練されていく流れが出てきたと思います。
「特定の機能を持つ場所」を超えて、キッチンをインテリアとしてとらえ、住宅における重要なパーツのひとつとしてデザイン・設計する考え方が主流になりつつあります。わたし自身も、ソファやテーブル、テレビボードといった家具・インテリアと同様、キッチンのデザインにこだわり、洗練させることで、住宅全体のクオリティに差が出てくると考えています。
キッチンだけ、専門の設計・施工業者に一任している建築会社もあると聞きますが、それでは住宅の中でキッチンだけが「浮いてしまう」懸念があります。キッチンをそれ単体としてとらえるのではなく、リビングやダイニングといった居住空間とのつながりの中でデザイン・設計する。それが、施主の方が心から満足するキッチンづくりにつながると思います。
海外生活で慣れ親しんだホームパーティーを日本でも
今回は、わたしが過去に手がけたキッチンのひとつを紹介しながら、「キッチンへのこだわり方」を考えてみたいと思います。紹介するのは、題して「来客を迎えるキッチン」です。
いまから4年前、2014年に新宿区という都会の中心に竣工したM邸。そのキッチンは約11帖とゆったりとした広さがあり、食材や調理器具・什器を保管するパントリーも併設しています。
海外での暮らしが非常に長かったMさんは、現地で慣れ親しんだホームパーティーの文化が、もはやご自身の生活の一部となっていました。日本での暮らしでも、ホームパーティーを楽しみたい——このご要望に応えるとなると、邸宅全体に占るキッチンのボリュームは大きくなり、空間における重要度も高くなります。
大勢のゲストを迎えるわけですから、美しく洗練された見た目にはもちろんこだわるべきでしょう。しかし同時に、お客さまをおもてなしするのに最適な動線を確保する必要もあります。ときにはプロのシェフを招いて、お客さまに食事を振る舞うこともあるとのことですから、プロがストレスなく使えるキッチンであることも重要です。つまり「デザイン偏重で使い勝手が悪い」のでは、Mさんのご要望を満たすキッチンとは言えなかったのです。実現すべきは、「見た目」と「使い勝手」の両立でした。
Mさんは住まいづくりにとても熱心で、初期の打ち合わせの際にはご自身でプレゼンテーション資料を用意し、理想の住まいについてわたしに説明してくださいました。資料には、ご自身のライフスタイルのことや、理想の住まいのテーマ設定のほか、「リビング・ダイニング・キッチンが、ほんの少しの無駄もなくつながっている」という日本の住宅の特徴に対する違和感などがまとめられていました。これもヒントに、M邸のリビング・ダイニング・キッチンは、「余白」を活かしたデザイン・設計を行いました。
M邸のキッチンは、「L字」×「I字」×「アイランド」で構成されており、キャビネットとキャビネットの間を自由に動き回れるつくりになっています。こうすることで、広いキッチンの中を最短距離で移動できるようになり、作業効率が高まります。ほんの2、3歩の遠回りでも、毎日のことともなれば、“塵も積もれば”でストレスや負担になってくるものですからね。
また、パーティーシンク(サブシンク)を備えた「アイランド」は、メインシンクやコンロを備えた「L字」と、オーブン・レンジや食器棚を備えた「I字」の中間地点として機能し、料理や調理器具などちょっとしたものを一時的に置いておくことができます。空間のボリュームが大きければ大きいほど、そこには多くの「余白」も生まれます。その「余白」を活かした設計というわけです。
オープン型キッチンでは、アイランドにコンロが設置されていて、その周りを家族や来客が囲んで……というシーンをイメージする方が多いかもしれませんが、M邸のコンロはL字のキャビネット上にあり、さらに壁に接しています。ホームパーティーなどで大量の料理をつくる場合には、コンロを壁に向かわせたほうが換気扇の排気効率が高まるためです。また、掃除のしやすさを考慮し、調理による汚れの範囲を限定する狙いもありました。
使い勝手をよくするためのディテールのこだわりはまだまだあります。例えば、一般的にコンロとシンクは同じ高さで設計されますがM邸ではシンクが若干高くなっています。これによって、腰を曲げることなく洗い物をすることができます。また電子レンジは、コンロ横の収納棚に格納。この位置関係なら、解凍した食材をすぐに鍋に入れて調理することができます。

使い勝手を損なわず、いかに生活感を抑えるか
使い勝手の良さを担保しながら、見た目をいかに洗練させるかが、キッチンのデザイン・設計の肝です。リビングやダイニングとひと続きになっており、来客の目にも触れるM邸のキッチン。気になるのは、置き型家電や洗剤などの日用品からどうしても醸し出されてしまう「生活感」です。そのため、電子レンジや炊飯器といった家電はできる限りビルトインにしました。
M邸に限らず、家をつくる上で「生活感を出したくない」と要望される方はとても多いです。使い勝手を損なわない範囲で、生活感の原因をいかに目立たなくするか。この隠し方が、建築家の腕の見せどころです。
逆に、このキッチンの“主役”ともいえる存在感を発揮しているのは、ドイツ・リープヘル社のワインセラー付き冷凍冷蔵庫。大容量かつ洗練されたデザインがプロからも高い支持を得ている高級家電です。デザイン性の高いシルバーのボディが、空間全体を引き締めています。
冷蔵庫をはじめとする置き型家電は、キッチンが完成した後に「さあ、どんなものを置こうか」と検討を始めがちですが、初期段階で設計に落とし込まないと無理が生じ、空間全体の調和を乱すばかりでなく、使い勝手を損なう原因にもなります。どんな家電を置くかを考慮した空間設計が必要です。
カウンターの素材選びひとつとっても、使い勝手と見た目のバランスを意識しています。M邸のキッチンの使用頻度・時間を考えれば、「掃除のしやすさ」という機能的価値は最重要事項と言っていいでしょう。それを念頭に置きながら、邸宅全体のインテリアの色調・質感との調和を目指しました。カウンターに使ったのはクォーツストーン(編集部注:天然水晶と樹脂を真空プレスしてつくられた高級素材)。天然石の風合いを持ちながら、天然石よりも傷がつきにくく、水や汚れが染み込みにくいという、キッチンにぴったりの素材です。柄によってまったく異なる表情を見せる素材ですので、機能性を維持しながら邸宅全体の雰囲気に合わせてセレクトすることができます。
まるで“都会のオアシス”のように、都市の中でグリーンを楽しめる家にしたいというご要望は、白を基調に、ポイントでグリーンを効かせる色使いに反映しています。このデザインは、キッチンだけでなく、邸宅全体で統一されているものです。
また、室内に自然光を取り入れるつくりも、邸宅全体で大事にしていること。一般的に、キッチンには窓がないことも多いですが、M邸では収納力を損なわないよう留意しながら開口部を設け、できる限り外からの自然光が差し込む明るいキッチンを目指しました。
キッチンを考える起点は、「食生活」のスタイル
「閉ざされた作業場」から「パブリックな場」へ——そうした変遷を背景に、近年はいわゆるオープンキッチンが人気を博しています。「対面型」「アイランド型」「ペニンシュラ型」……これらの名称をご存知の方も多いでしょう。一人で黙々と炊事をするのではなく、ダイニングにいる家族や来客とカウンター越しに会話を楽しみながら料理をする、というスタイルに憧れる人は多いですから、ハウスメーカーや住宅設備メーカーも積極的に打ち出しています。
しかし、すべての人にとってオープンキッチンが「正解」なのかというと、もちろんそうではないのです。M邸のキッチンも、リビング・ダイニングから見通せるとは言え、「隣接」しているわけではありません。実は建具が隠されていて、必要に応じてキッチンとリビング・ダイニングの間を隔てることもできるつくりになっています。
わたしは、キッチンを考えるとき、「対面型」「アイランド型」「ペニンシュラ型」といった形式から入らないほうがいいと考えています。それよりも、施主の方の「食生活のあり方」を起点に考えたほうが、使い勝手や居心地の良いキッチンが具現化でき、満足度が高められると思います。
小学生の子どもが2人いて、朝の時間はとても慌ただしい。
毎朝バタバタと支度を済ませ、朝食もそこそこに家を飛び出していく。
例えば、そんなライフスタイルのお宅にぴったりのキッチンとは、どんなものでしょうか?キッチンのすぐそばにちょっとしたカウンターを設置して、周りに空間を圧迫しないような簡易な椅子を置く。これなら、キッチンから軽い朝食をパッと出し、ササッと食べて、使い終わった食器はすぐにシンクに置くことができます。結果的に「対面型」ではあるのですが、形式ありきではなく、住む人のライフスタイルがきちんと反映されたキッチンになっています。これは、既製品を組み合わせるだけでは、実現できません。
「あまり料理をしない」というのも、ひとつのライフスタイルです。その場合は、例えば、見た目は住まい全体と統一感を持たせつつ、調理機器の数やサイズは最小限に抑えるといった方向性が考えられるでしょう。「キッチンにはこだわりがないから、とりあえずシステムキッチンを入れておこう」というのではもったいない。住む人の暮らしに軸足を置いて考えれば、その人にぴったりのキッチンを形にできます。
住む人のライフスタイルによって「良いキッチン」は異なります。キッチンひとつとっても、自分らしい家づくりの可能性は無限に広がっているのです。
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次回のテーマは「世帯をつなぐ土間」です。
言葉の響きだけを聞くと、少々古めかしさも感じられる「土間」ですが、実は現代の住まいにもさまざまな形で取り入れられる便利な空間でもあります。例に挙げる邸宅は、東京・世田谷区のY邸。親世帯・子世帯を緩やかに隔てつなぐ共有部分として、土間が効果的に機能しています。お楽しみに。
一級建築士 深澤彰司
株式会社テラジマアーキテクツCEO
東京理科大学卒業。2004年テラジマアーキテクツ入社。建築家としてシンプルモダンや和モダンといった同社の代表的なテイストを確立。これまでに手掛けた住宅は300棟以上。デザインと生活空間の両立した住宅、お引渡し後も長く安心して住まえる住宅を目指し、使い勝手や動線に配慮した設計、お客さまと一緒につくる過程を大切にしている。
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