高天井のキッチンが主役の邸宅
今回ご紹介するのは、東京都世田谷区にある「住宅 兼 料理サロン」のM邸です。
料理研究家として活躍されているMさんは、以前お住まいだったマンションでも10年近く会員制料理教室を開かれていました。だんだんと生徒さんが増えてきたこともあり、より充実した環境を求めて、1階を仕事場=料理サロン、2階をプライベート空間としたご自宅を新築されました。
料理教室の生徒さんはレッスン1回あたり7~8人。それだけたくさんの方が集まる場所では、広い床面積も必要ですが、同時にある程度の天井高を確保しないと非常に圧迫感のある空間になってしまいます。
料理サロンのために確保したかった天井高は3.4メートル。その上で2階をつくるとなると、家全体では一般的な建物でいう2.5階分の高さになります。
ここで問題になったのが、住居地域には付き物の「北側斜線制限」(編集部注:北側の隣地の日当たりを考慮し、北側隣地境界線上に一定の高さをとり、そこから一定の勾配で記された線の範囲内で建築物を建てるルール)です。
このルールを守りながら、「高天井のダイニングキッチン」「2階建て」を実現すること。そして、“商売道具”である、全長5メートルに渡る特注のアイランドキッチンをすっきりと収めること。これらをすべて叶えるには、建物全体を南側に寄せ、北側に中庭を設けるのが最適なプランと考えました。
こうすることで、ダイニングキッチンは、北側の中庭と南側のハイサイドライトから自然光がたっぷり差し込む、明るく開放的な空間になりました。アウトサイドリビングとしても使える中庭では、外かの目線を気にすることなくお茶や食事を楽しむことができます。
「北側」は誤解されている
こうして出来上がった「北側の中庭」ですが、「北側」にあまり良い印象を持っていない方は多いのではないでしょうか。
暗い、寒い、カビが生えやすい……建築家としては、多くの方が持っているこうしたイメージは、「誤解」「先入観」であるとお伝えしたいです。
学問的には、北側は1年を通じて安定した光が得られる方角と理解されています。気密性・断熱性にさえきちんと配慮していれば、北側に庭・開口部を配置することはネガティブなことではないのです。
光は上から落ちてくるものですから、M邸のように隣地から一定の距離をとることができれば、方角が北であっても採光にはまったく問題がありません。むしろ、むやみな「南側信仰」のほうが、理想の家をつくるのを阻害する要因になり得ると危惧しています。
不動産用語では「南側道路」がしばしばプラスの要素として語られます。「南側に道路があれば、そこに他の家が建つことはないので、日当たりがいい」というロジックです。
しかし建築家としては、「北側道路」のほうが好条件と言えるケースもあると思います。通常は2階建てまでしか建てられない地域でも、北側道路があれば道路斜線で高さの制限が緩和され、3階建てにすることができ、100平米しか建てられない敷地に150平米の家をつくることができる。つまり、より広い家を求める人にとっては、北側道路のほうが好都合だということです。
「何が何でも南側!」という先入観が、快適な暮らしを損なう可能性すらあります。たとえばM邸は東・南東・南を隣家に囲まれていますが、この状況で仮に南側に開口部を設けたとすると、せっかく開口部があっても一日中カーテンを閉めっぱなしにせざるを得なくなった可能性もあります。
M邸の開口部は北側で、そちらの方角には隣家がない上、外からの目線を遮るルーバーも設置していますから、大きな窓にカーテンをかける必要がありません。
南側に庭を設けた上で、求める部屋の広さ、天井の高さ、空間としての豊かさが表現できれば、それに越したことはないかもしれません。しかし、都市部でそれを実現するのは簡単ではないのが実情。「南側信仰」にとらわれないほうが、理想的な家を手に入れられる可能性は高いのです。
北側の中庭は、アウトサイドリビングとして最適
「夏場に近づいて日差しが強くなり、気温が高くなってきても、北側の中庭は快適に過ごしやすい」とMさん。中庭を、ダイニングキッチンから続くアウトサイドリビングとして通年で活用しているそうです。
マンションにお住まいだった頃は、生徒さんとつくった料理を楽しむのは専ら屋内でしたが、いまでは天候や気分によって屋内でも屋外でも楽しむことができます。大きなテーブルを置けるよう、植栽の配置に配慮しました。
天井が高い空間ならではの配慮も必要でした。
まず、天井が高い分、窓ガラスも大きい。そのため、断熱性を確保し結露しないよう工夫しました。また、キッチンの一部を下がり天井にし、そこにレンジフードを設置しました。3.4メートルの高さからレンジフードを下げようとするとダクトを継がなければ長さが足りないのですが、その継ぎ目がキッチンのスタイリッシュな雰囲気に合わない。下がり天井にすることでダクト1本で済むようにし、さらに間接照明も設置して空間演出を行いました。
方角にこだわりすぎず、どうすればその土地が持っているポテンシャルを最大限に生かせるのか考えること。そして、どんな暮らしがしたいのか、家づくりにおける優先順位を考えること。それが、満足度の高い住空間を手に入れる近道です。
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次回のテーマは、「記念樹とともに暮らす」です。庭に植えた思い入れのある木の存在を、暮らしのさまざまなシーンで感じながら暮らす。記念樹に見守られながら住まう、こだわりの家をご紹介します。お楽しみに。
一級建築士 深澤彰司
株式会社テラジマアーキテクツCEO
東京理科大学卒業。2004年テラジマアーキテクツ入社。建築家としてシンプルモダンや和モダンといった同社の代表的なテイストを確立。これまでに手掛けた住宅は300棟以上。デザインと生活空間の両立した住宅、お引渡し後も長く安心して住まえる住宅を目指し、使い勝手や動線に配慮した設計、お客さまと一緒につくる過程を大切にしている。
ビジョン
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